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今からおよそ四百年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人も未だありませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられています)という人が一族を引き連れて移り住み、この土地の開拓に着手しました。 古記録によると、徳川氏の関東入国から間もない慶長元年(1596)、徳川家康公が当地を巡視の折、八郎右衛門を召して地名を訪ねたそうです。八郎右衛門が「まだ住む人も少なく、地名もない」と答えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を採って「深川村」とするよう命じました。そして、開拓の功績により八郎右衛門を深川村の名主に任じました。 |
開拓当初は、現在の森下周辺の地名であった「深川」は、その後、海に向かって南へ南へと発展し、今日では門前仲町や木場を含む、江東区西部一帯をさす知名となっていますが、深川の地の発祥は、深川神明宮の鎮座する森下の地なのです。 |
深川氏が一身に罪を引き受け、累を他におよぼさなかったことを徳とする深川の人々は、深川氏の遺徳をしのび、追善供養を怠らなかったといいます。その後、この法要もいつのまにか途絶えては、また人々が相談して復活する、ということがくり返されました。今日では毎年十一月三日に、深川氏の菩提寺の泉養寺(市川市国府台)で追善供養が営まれています。また深川氏ゆかりの深川神明宮、砂町天祖神社の氏子有志が四月に泉養寺の深川氏の墓にお参りし、郷土の先人に感謝の誠を捧げています。 |
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深川氏の菩提寺、泉養寺は初代・深川八郎右衛門の兄・秀順法印により慶長元年に神明宮の社地の南に建立され、代々の住職が神明宮の別当を務めました。元禄6年(1693)猿江に移転してからは、社頭に社僧をおいて社務を取り扱いました。猿江の寺の境内の蓮池は、重弁紅花の蓮花で名高く、多くの参詣人や文人墨客で賑わいました。寛政5年(1793)には勧進相撲の興行も行われたと記録されています。 泉養寺は関東大震災の後、市川市国府台に移転しました。江戸川の川風に誘われて泉養寺を訪ね、深川氏の墓前に手を合わせて、深川の地の開拓者の遺徳をしのんでみてはいかがでしょう。 資料提供、文章協力:深川神明宮 |